イベント女のひとりごと

THE DIGITALIAN 京セラ公演からもう1週間が経ってしまった。早く現実を見ないといけないとはいうもののなかなかに辛い現実を受け入れたくない自分がいる。地に足をつけろ自分。

参戦を終えて今までの参戦などを懐かしく思い出しながらふと考えたことがある。それは「全力で楽しんできてほしい」ということ。いやいやいやごく普通のことを改めて言うことじゃないと思うかもしれないのだが、最近Twitter「何回も行っている人はその分感動が薄れてしまって1番この公演がよかったと思った他の公演はなんだったのか」といったニュアンスのツイートを拝見した。誰の発言か定かではないとされているメッセージのため、当初はあまり気にしてはいなかったのだが、何度もこのツイートを見る機会があったので少し考えてみることにした。そして自分の中で1つの答えをなんとか導き出した。ここからは個人的な意見のため価値観が違う方にとっては反感を買うような内容かもしれないが、とりあえず書いてみようと思う。

私は複数現場へ行くことを反対していない。お金をかけただけやはり報いがあるのは当たり前のことではある。むしろその分リスクを伴うことの方が多かったりもするため、それでも行きたい方を咎めようなどとは考えていない。何かあればその人の自己責任なわけで、こちらがあーだこーだと意見することはないと思っている。

(昨日報道番組で投資をして稼いでいる大学生のインタビューでアベノミクスについて彼が「そりゃ投資などをしていない方はリスクを背負っていないわけだから」と語っていたことが印象的だった。)

しかし、私が伝えたいことは何回も行くのであればその数だけ毎回100%で楽しんでほしいということだ。去年のコンサートに参戦していない分特に今年の参戦を充実したものにしたいと思っていたこともあったのか、あるいは高3の1年を文化祭に費やし校外の方や校内生にも楽しんでもらえるものを作り上げたいという思いで必死だった提供者としての経験からなのか、改めて1つ1つのコンサートにかける演出者の思いを100%受け止める必要があることに気付かされた。



そもそも裏事情などを私たちは1視聴者として受け取る側の人間として知る術などないのだから、純粋に素直にグループに対して親バカのように凄いと感動してもいいのではないだろうか。だからどうか、1回の参戦の方は勿論、複数参戦される方も全ての公演に対するパフォーマーの熱意を感じとってきてほしい。決して彼らは手を抜いてなんかいない。

これこそ
「入れない人のことも考えて」
の本来の意味であるように思う。
決して当たった方に怒りをぶつけているのではなく、入れなかった人に失礼のない態度で参戦してきてほしい。その願いが込められているような気がする。かく言う私も友人のおかげで同じコンサートを複数参戦したことはあるが、どうしても「いかにファンサをしてもらえるか」や「どれほどの回数のコンサートに参戦するか」に気が向いてしまって「今回は全くファンサしてもらえなかった」とか「次があるし」と思ってしまった公演もあった。今思うと、もっと1つの公演から得られる何かがあったかもしれないのにもったいないことをしたと後悔すると共に裏では何万人もの人が入りたかったと肩を落としているのになんて無責任な感想を持ったのかと反省もしている。参戦した者が演出に対して批判などがあるのは当然なのかもしれないが、まず自分から能動的に楽しもうとすることは少なからず大事なのだと思う。

これは小さい頃から盆踊りが大好きでイベントが大好きで高3という重要な年を体育祭と文化祭に費やしたイベント女の「1度きりの人生をいかに濃いものにして楽しむか」を日々考える上でのひとりごとにすぎない。こんなことを議論するなんてまだまだ精神的には若いのかもしれない。

……とここまで書いてきたが先ほど日経エンタテイメント!2015年1月号を立ち読みしたら嵐さんが言いたいことを言ってくれてるじゃないか。

日経エンタテインメント! 2015年1月号

日経エンタテインメント! 2015年1月号


さて、書きたいことも書いたのだからそろそろ厳しい現実に戻りましょうか、なるるさん。