私がアイドルを好きな理由

「翔くんファンは基本顔から入るからね、王道なんだよ。だからファンの人数が多いし後から他のメンバーに流れていくんだよ」

これは高2の頃、小学生の時に通っていた塾で知り合ってからの友人が私とは無関係な女子グループの中で嵐の話をしていた際にたまたま聞こえてきた言葉だった。確かに私の学校では最初翔くんから智くんへ「担当を変える」同級生が多く、密かに私は個人的にその人たちのことを「櫻井経由大野行き」と呼んでいた。担当が変わる理由も分からなくはない。ファンになってコンサートへ行ってみると、翔くんは個人に対してファンサをするというよりかは全体を盛り上げることに徹しているのに比べて智くんは1人1人ファンサうちわに書かれている要求に応えてくれていた。高校生ながらにこっちを見て!という欲望を満たしてくれたのはどちらかというと智くんだったのかもしれない。もし本当にそれだけで担当を変えたのであれば、元々智くんの魅力を分かっていた方からしたらどう思っていたのだろう。話を戻すが、友人は私なんかよりももっと前から嵐を応援していて、小学生の頃塾の帰りには嫌となるほど潤くんの話を聞かされていた私は彼女の影響を受けて嵐ファンになったところもある。そんな友人から「翔くんファンは顔から入る」なんて翔くんを応援している人を単純にまとめたような言葉が発せられたのはかなり驚いた。しかし同時に、私はどうして翔くんを応援しているのか考えさせられることになった。

なぜ私は櫻井翔さんのファンになったのだろう。(何これすごく深刻そう)

私の中高生での嵐ファン生活はバレていたようなバレていなかったような、聞かれたら答える程度だった。バレたときは周りから「○○(本名)って嵐好きなの?!」と何度も驚かれた。5年の付き合いのあった知人も高3の頃に初めて知ったらしく、かなり驚かれた。次に、私が嵐ファンだと知った友人たちは皆、まるで珍しいものを見て感動したと言わんばかりの勢いで「誰のファンなの!?誰のファンなの!?」と尋ねてくる。しかし、答えたら答えたで「ああ……」と言われなぜか向こうのテンションが下がるのだ。いやいや待てよ、確かにいわゆるグループの中で”王道”と言われる人が好きであると思ったから「いつものね」という感情なんだろうけどさっきまでのテンションよ。ある意味その落胆を見るのが辛くて自分から嵐ファンを名乗ろうとしていなかった。

そんなこんなで私がジャニーズのことに関して主張することなく中高生活が終わったわけなのだが、先日いつも通り相方とLINEで会話をしていると、突然相方に「なるるってアイドルをアイドルとして好きなんじゃなくて人間として見てるよね。だからアイドル好きっていうイメージが未だにつかないんじゃない?」(←実際はもっと関西弁)と言われたことがある。相方と知り合ったのは高2の冬(Popcornツアーのあたり)で、そこまで長い付き合いではないのだが、唯一ジャニーズに関して嵐に関して思ったことをありのまま素直に話している相手である。相方は私と同じく中高6年間女子校というもう女の闇の中の闇を彷徨った境遇を経験しているために、観察眼が長けている。さすがだった。私の高2に受けたあの衝撃とモヤモヤ感をバサッと取り払ったのだった。

嵐5人の仲の良さは有名な話だが、ちょうど人間関係に悩んでいた私は、5人がメンバーの短所を残りのメンバーが全力でカバーし、メンバーの長所をまるで自分の長所のように他人に一生懸命伝えようとしていて、能動的に支え合っている姿を見て参考にしたり、学ぶことが沢山あった。高校1年生の私は個人的な事情で暗黒時代を過ごすことになったのだが、どんなことがあっても側にいてくれるたった数人の友人の存在の大切さを改めて気付かせてくれたのは、やはりテレビに映る彼らの姿だった。中高を卒業した今でも、暗黒時代を救ってくれた友人とは常に連絡を取ったり、年に2回BBQをしたり、遊びに行ったりと交流は続いている。よく考えてみると、私が嵐にハマり出したのは「彼らへの尊敬」が始まりだったのかもしれない。

ではなぜ、先述の通り友人の潤くんに対するありあまる熱を受け止めていた私は嵐の中で翔くんを応援することになったのか。当初私は、MCをしたり何かと仕切ったりする櫻井さんに対して面白みのない人間だと感じていてあまり好きではなかった。しかし、何かとテレビをつけたら映っている翔くんの姿を見ていくうちにしっかりしていると思われているがために、たまに炸裂する天然さに惹かれていった。誰かの失敗を笑いに変えたり、フォローしたり、常に頭がフル回転している姿を見て彼の気配りに尊敬した。さらに、中高生生活であろうと部活であろうと文化祭の委員をやろうと、はたまたTwitterで出会った人たちにも、私の印象は「母親キャラ」と言われてきた為に、嵐の「母親」と言われていた翔くんには親近感がわいていた。

結局私はビジュアル云々よりも前に、人間として翔くんを素敵だと思っていたようだ。それもそのはず、どちらかというとジャニーズの方々を「チャラい」と認識していた真面目系女子のあの幼い私がビジュアルからジャニーズを好きになるわけがないし、今でも他のグループに関しては見た目よりもその人の人柄をしっかりじっくり観察してからでないと興味を持つことができない性格だ。でもまあここまで語ってはみたものの皆さんも実はアイドルをアイドルとして好きになったのではなくて、尊敬するところがあってファンになった方もそれなりに多いのかなと思ったりもする。

嵐は今までもかなりの量の未開拓地を開拓していき、あまりにも規模の大きいものであるから一見ファンから離れてしまったような幻覚に陥ってしまうこともあったが、最終的にはきっちりファンのことを身近に考えてくれていた。(昨年のハワイ公演は典型的な例だと思う。)15周年という通過点を経て16年目に突入した嵐だが、時々嵐の「安定感」が不安になったりする、といった話を先日約2年前からの付き合いであるTwitterで知り合った3人と話していた。私の中での見解になるので、反論もあることは承知だが、個人的に翔くんが「僕はここまでですから」と自ら線を引いてしまっている昔の”MCの櫻井さん”に戻りつつあるような気がしていて、アブナイ夜会が始まり、大人の方と接する機会が増え、歯止めをかけることも増えているように思える。勿論年齢を考えると、数年前のようになんでもかんでもやってみるチャレンジ精神を持つ年齢ではないのかもしれないし、今現在の彼なりにチャレンジはしているのだろう。でも私が求めているのは自虐する彼ではない。世の中の反応をフォローする為にまたファンを落ち着かせる為にわざと言っているのかもしれない彼の自虐は、個人的にはネガティブに捉えてしまって、見るのが辛かったりする。またいつか、無邪気な顔をして天然さを発揮する翔くんを見たいなと思う日々である。(と言いつつ22日放送のVS嵐で自分の年齢を誤魔化しちゃう翔くんを愛おしいと思った自分がここにいる。)しかし、嵐の「安定感」の不安を感じていたちょうどその日に新年一発目の新曲発表があった。実際聴いてみて新たな開拓をしてきた嬉しさで心が満たされた。

前回の記事通りKAT-TUNのことに興味を持ってからこれまた”王道”と言われる亀梨くんにハマってしまった。これではまた翔くんの時のように残念がられてしまう…!と思ったものの、翔くんと亀梨くんの共通点が全く見当たらなかった。と、言いつつブログをたまたまKAT-TUNの曲を聴きながら書いていたのだが、亀梨くんの歌声を聴くたびに反応する自分に気が付いた。そしてあることを思い出したのだった。

あ、わたし声フェチだわ。

他のメンバーも確かに歌唱力もあるし美声なのは変わりない。しかし、何故か翔くんの声と亀梨くんの声はピンと来るというか逐一反応してしまうし、聴いていて心地が良いみたいだ。今まで決して冷めることもなくかと言って急に熱することもなく、淡々と応援し続けている理由がなんとなく分かったような気がする。だって声なんてほとんど一生変わらないじゃない。心の中のモヤモヤ感が無くなったと同時にきっと将来何があってもジャニヲタを辞めるきっかけがないんだろうなとしみじみ感じた。

自担の誕生日に普段は全く語ろうとしない自担のことを、そして自担が好きな自分のことを考えてみる機会にしてみた。33歳のお誕生日おめでとうございます。