私がアイドルを好きな理由

「翔くんファンは基本顔から入るからね、王道なんだよ。だからファンの人数が多いし後から他のメンバーに流れていくんだよ」

これは高2の頃、小学生の時に通っていた塾で知り合ってからの友人が私とは無関係な女子グループの中で嵐の話をしていた際にたまたま聞こえてきた言葉だった。確かに私の学校では最初翔くんから智くんへ「担当を変える」同級生が多く、密かに私は個人的にその人たちのことを「櫻井経由大野行き」と呼んでいた。担当が変わる理由も分からなくはない。ファンになってコンサートへ行ってみると、翔くんは個人に対してファンサをするというよりかは全体を盛り上げることに徹しているのに比べて智くんは1人1人ファンサうちわに書かれている要求に応えてくれていた。高校生ながらにこっちを見て!という欲望を満たしてくれたのはどちらかというと智くんだったのかもしれない。もし本当にそれだけで担当を変えたのであれば、元々智くんの魅力を分かっていた方からしたらどう思っていたのだろう。話を戻すが、友人は私なんかよりももっと前から嵐を応援していて、小学生の頃塾の帰りには嫌となるほど潤くんの話を聞かされていた私は彼女の影響を受けて嵐ファンになったところもある。そんな友人から「翔くんファンは顔から入る」なんて翔くんを応援している人を単純にまとめたような言葉が発せられたのはかなり驚いた。しかし同時に、私はどうして翔くんを応援しているのか考えさせられることになった。

なぜ私は櫻井翔さんのファンになったのだろう。(何これすごく深刻そう)

私の中高生での嵐ファン生活はバレていたようなバレていなかったような、聞かれたら答える程度だった。バレたときは周りから「○○(本名)って嵐好きなの?!」と何度も驚かれた。5年の付き合いのあった知人も高3の頃に初めて知ったらしく、かなり驚かれた。次に、私が嵐ファンだと知った友人たちは皆、まるで珍しいものを見て感動したと言わんばかりの勢いで「誰のファンなの!?誰のファンなの!?」と尋ねてくる。しかし、答えたら答えたで「ああ……」と言われなぜか向こうのテンションが下がるのだ。いやいや待てよ、確かにいわゆるグループの中で”王道”と言われる人が好きであると思ったから「いつものね」という感情なんだろうけどさっきまでのテンションよ。ある意味その落胆を見るのが辛くて自分から嵐ファンを名乗ろうとしていなかった。

そんなこんなで私がジャニーズのことに関して主張することなく中高生活が終わったわけなのだが、先日いつも通り相方とLINEで会話をしていると、突然相方に「なるるってアイドルをアイドルとして好きなんじゃなくて人間として見てるよね。だからアイドル好きっていうイメージが未だにつかないんじゃない?」(←実際はもっと関西弁)と言われたことがある。相方と知り合ったのは高2の冬(Popcornツアーのあたり)で、そこまで長い付き合いではないのだが、唯一ジャニーズに関して嵐に関して思ったことをありのまま素直に話している相手である。相方は私と同じく中高6年間女子校というもう女の闇の中の闇を彷徨った境遇を経験しているために、観察眼が長けている。さすがだった。私の高2に受けたあの衝撃とモヤモヤ感をバサッと取り払ったのだった。

嵐5人の仲の良さは有名な話だが、ちょうど人間関係に悩んでいた私は、5人がメンバーの短所を残りのメンバーが全力でカバーし、メンバーの長所をまるで自分の長所のように他人に一生懸命伝えようとしていて、能動的に支え合っている姿を見て参考にしたり、学ぶことが沢山あった。高校1年生の私は個人的な事情で暗黒時代を過ごすことになったのだが、どんなことがあっても側にいてくれるたった数人の友人の存在の大切さを改めて気付かせてくれたのは、やはりテレビに映る彼らの姿だった。中高を卒業した今でも、暗黒時代を救ってくれた友人とは常に連絡を取ったり、年に2回BBQをしたり、遊びに行ったりと交流は続いている。よく考えてみると、私が嵐にハマり出したのは「彼らへの尊敬」が始まりだったのかもしれない。

ではなぜ、先述の通り友人の潤くんに対するありあまる熱を受け止めていた私は嵐の中で翔くんを応援することになったのか。当初私は、MCをしたり何かと仕切ったりする櫻井さんに対して面白みのない人間だと感じていてあまり好きではなかった。しかし、何かとテレビをつけたら映っている翔くんの姿を見ていくうちにしっかりしていると思われているがために、たまに炸裂する天然さに惹かれていった。誰かの失敗を笑いに変えたり、フォローしたり、常に頭がフル回転している姿を見て彼の気配りに尊敬した。さらに、中高生生活であろうと部活であろうと文化祭の委員をやろうと、はたまたTwitterで出会った人たちにも、私の印象は「母親キャラ」と言われてきた為に、嵐の「母親」と言われていた翔くんには親近感がわいていた。

結局私はビジュアル云々よりも前に、人間として翔くんを素敵だと思っていたようだ。それもそのはず、どちらかというとジャニーズの方々を「チャラい」と認識していた真面目系女子のあの幼い私がビジュアルからジャニーズを好きになるわけがないし、今でも他のグループに関しては見た目よりもその人の人柄をしっかりじっくり観察してからでないと興味を持つことができない性格だ。でもまあここまで語ってはみたものの皆さんも実はアイドルをアイドルとして好きになったのではなくて、尊敬するところがあってファンになった方もそれなりに多いのかなと思ったりもする。

嵐は今までもかなりの量の未開拓地を開拓していき、あまりにも規模の大きいものであるから一見ファンから離れてしまったような幻覚に陥ってしまうこともあったが、最終的にはきっちりファンのことを身近に考えてくれていた。(昨年のハワイ公演は典型的な例だと思う。)15周年という通過点を経て16年目に突入した嵐だが、時々嵐の「安定感」が不安になったりする、といった話を先日約2年前からの付き合いであるTwitterで知り合った3人と話していた。私の中での見解になるので、反論もあることは承知だが、個人的に翔くんが「僕はここまでですから」と自ら線を引いてしまっている昔の”MCの櫻井さん”に戻りつつあるような気がしていて、アブナイ夜会が始まり、大人の方と接する機会が増え、歯止めをかけることも増えているように思える。勿論年齢を考えると、数年前のようになんでもかんでもやってみるチャレンジ精神を持つ年齢ではないのかもしれないし、今現在の彼なりにチャレンジはしているのだろう。でも私が求めているのは自虐する彼ではない。世の中の反応をフォローする為にまたファンを落ち着かせる為にわざと言っているのかもしれない彼の自虐は、個人的にはネガティブに捉えてしまって、見るのが辛かったりする。またいつか、無邪気な顔をして天然さを発揮する翔くんを見たいなと思う日々である。(と言いつつ22日放送のVS嵐で自分の年齢を誤魔化しちゃう翔くんを愛おしいと思った自分がここにいる。)しかし、嵐の「安定感」の不安を感じていたちょうどその日に新年一発目の新曲発表があった。実際聴いてみて新たな開拓をしてきた嬉しさで心が満たされた。

前回の記事通りKAT-TUNのことに興味を持ってからこれまた”王道”と言われる亀梨くんにハマってしまった。これではまた翔くんの時のように残念がられてしまう…!と思ったものの、翔くんと亀梨くんの共通点が全く見当たらなかった。と、言いつつブログをたまたまKAT-TUNの曲を聴きながら書いていたのだが、亀梨くんの歌声を聴くたびに反応する自分に気が付いた。そしてあることを思い出したのだった。

あ、わたし声フェチだわ。

他のメンバーも確かに歌唱力もあるし美声なのは変わりない。しかし、何故か翔くんの声と亀梨くんの声はピンと来るというか逐一反応してしまうし、聴いていて心地が良いみたいだ。今まで決して冷めることもなくかと言って急に熱することもなく、淡々と応援し続けている理由がなんとなく分かったような気がする。だって声なんてほとんど一生変わらないじゃない。心の中のモヤモヤ感が無くなったと同時にきっと将来何があってもジャニヲタを辞めるきっかけがないんだろうなとしみじみ感じた。

自担の誕生日に普段は全く語ろうとしない自担のことを、そして自担が好きな自分のことを考えてみる機会にしてみた。33歳のお誕生日おめでとうございます。

「KAT-TUN COUNTDOWN LIVE come Here 2014-2015」in京セラ②

やっと…やっと出来上がった。

お久しぶりでございます。初めてのKAT-TUNのコンサートでとにかく興奮して言葉にできない感動を覚えてしまい、今の今まで更新することができなかった。しかしあまりにも先延ばしにしてしまうと、雑誌のレポ等が出回ってしまい、かえってしっかりと自分の目で見て感じた記憶が薄れてきてしまう。「えい!こうなったら文章が下手でも上手く伝わらなくてもなんとかレポは書き上げてしまおう!」という勢いで書いてみた。

ちなみに、前回の記事はこちらから↓
「KAT-TUN COUNTDOWN LIVE come Here 2014-2015」in京セラ① - もしもイベント女がブログを書いたなら


KAT-TUNの各メンバーの印象がガラリと変わった。変わったというよりは新たな一面を知ることが出来た、と言ったほうが正しいかもしれない。テレビや雑誌でしか見たことがなかったKAT-TUNだが、コンサートの彼らの雰囲気は全く異なっていた。ハイフンの皆様にとってはそんなこと前から知ってるわ!ときっとお怒りになるような内容だが、なんせ初めてKAT-TUNのコンサートを生で観た一女子の感想なので許してくださいお願いします(土下座)

普段はテキパキとハキハキと淡々と話す中丸くんから透き通った歌声と巧みなヒューマンビートボックスを奏でられる姿には鳥肌が立った。勿論ヒューマンビートボックスが中丸くんのお家芸であることは知っていたが、なかまるーぷマシンも淡々と使いこなしているし、ジャニーズというよりも1人のアーティストとして完成度が高すぎる。でもってあのクリアすぎる歌声は聴いていて心地が良かった。個人的に中丸くんの話すテンポも好きだった。

前回の記事にも書いたが、参戦前に予習がてら観たのだが、2013-2014のカウコンで上田くんが意外と面白いことを自分からするのが印象的だった。テレビではほとんど多くを語らずクールな印象を受けていた。しかしコンサートでは自分からはしゃぐことが多く、且つ1番KAT-TUNに対して真面目で熱心であるところが垣間見れた気がした。

田口くんは最初から最後までキラキラ輝いていてハイフンの皆さんが王子様と呼んでいるのがとても理解できた。なんといっても歌唱力。声がとても通っていてドーム内に響いていた。ギャグを言ってスベるのじゃなくて、「王子様がギャグを言っておられる」と捉えてしまってとにかく崇めたくなった。

私の中で1番イメージが変わったのは亀梨くんだった。メディアでは常に「カッコいい亀梨和也」で隙がなくい印象を持っていた。しかし、コンサートでは末っ子として少年になる姿がとてつもなくかわいいのだ。まさしくメディアでの姿とのギャップ萌えだった。かっこいいことは勿論のこと、面白いこともかわいいこともやってのけてしまう亀梨くんの目は輝いていた。コンサートグッズであるコースターをちゃんと使っていると思うと想像するだけでかわいいが溢れていて悶える。

「カトゥネット高丸」ではコンサートグッズにちなんだコントをやってみたり、「2014 KAT-TUN大忘年会 YOU達!スロット回しちゃいなよ!!」ではどのジャニーズグループでも待望のメンバーが他のメンバーのソロ曲を歌う企画をやってみたり。また、こういった企画はもちろんのこと、初めて披露した新曲に対してもファンの反応をちゃんと聞いていて、常にファンが楽しむことを第一に考えているグループなんだなと感動した。とにかく全員歌が上手だ。生歌で勝負していて、パフォーマンスだけでなくコントもMCも楽しむことも、何もかも常に彼らは本気だった。ファンと直接「遊ぶ」唯一の機会を決して無駄にさせない、がっかりさせないコンサートでこちらにも本気度が伝わってきた。すごくすごく楽しかった。最後に皆で手を繋ぐのがKAT-TUNコンサートの恒例行事らしく、皆でその日のコンサートを作り上げたという一体感は素晴らしかったし、私もなぜか達成感に満ち溢れてしまった。とにかくチケットを譲ってくださった方々や座席の周りにいた方々含めて、ハイフンの皆さんはとても親切だった。本当にありがとうございました。

今までジャニーズでは嵐のコンサートしか経験したことがなかった為、違うグループのコンサートを経験するのは新鮮だった。「どちらのグループが…」というように争ったり比べたりは決してしたくない私はむしろ、井の中の蛙状態だった視野が新たな方向へ広がり、また違った価値観を得たような気がする。KAT-TUNに関しては、まさに相方がKis-My-Ft2にハマったように、もっと彼らのことを知りたいと思うようになった。勿論今は全く知識がないので語れる立場ではない。KAT-TUNの魅力を語っているハイフンの皆さんを静かに拝見しながら少しずつにはなるだろうが、学んでいこうと思う。

こうやって一緒に参戦した相方にKAT-TUNについてLINEで語った流れのまま私は録画していた「KAT-TUNの世界一タメになる旅」を見た。相方の「自爆するからやめとけ」という忠告をよそに。見事にKAT-TUNがかわいすぎて悶えて私の自爆の旅となったことは言うまでもない。

「KAT-TUN COUNTDOWN LIVE come Here 2014-2015」in京セラ①

常日頃から「語彙力がないので…」と言い続けるもなぜかブログを始めた私だが、逆にブログを始めることで少しでも自分の文章力が上達すればいいなという思いがきっかけでもある。しかし今回早速挫折しかけている。これほど自分の語彙力の無さ、ボキャブラリーの無さを痛感したことがあっただろうか。書きたくても書けない。その場で感じた100%を文章で表現できない。言葉にできないものを私は経験してしまったようだ。2014年12月30日、私は京セラドームで行われた「KAT-TUN COUNTDOWN LIVE come Here 2014-2015」に参戦してきた。

テンションが上がってしまうとハメを外してとんでもないことをしでかしてしまう性格のため、会場に入るまでは敢えて感情を抑えていたのだが、会場に入ってしまえば「いえーーーーい!入ったよ!入ったよ!ふぉぉぉ!いええええい!!」座席がジャニーズのコンサートでは約4年ぶりのアリーナということだけでも舞い上がっていたのだが、センターステージが真横、小さなトロッコの通る道が目の前というとてつもなく素晴らしい席だった。メインステージもバックステージもしっかり見える位置でこの約4年の間に身長が伸びて良かったと思った。(誰だ、今でもチビじゃないかと言った奴は!)

開演まで時間があったので、前回同様2人で会場内を探検した。ステージはメインステージとメイン横の高さのあるステージ、花道なしのセンターステージとバックステージというとてもシンプルなものだった。THE DIGITALIANで座った席からの眺めも確認した上に、今回はアリーナも探検できたためちょこちょこちょこちょこ歩き回った。やはり知り合いと一緒に入った方が荷物を気にすることなく動き回れるのが良い。そして前回と同じく「理想のりんご」という紙パックのリンゴジュースを購入して飲んだ。前回、「理想のりんごなんて初めて見た!何これ名前面白すぎでしょww」と爆笑して購入したのだが後日インターネットで調べてみたら私が中高生の頃購買でよく買っていたリンゴジュースだった。爆笑してごめん理想のりんご、美味しかったよ。

約3時間15分に及ぶコンサート。初めてのKAT-TUNコンサート参戦であったため、観るもの全てが初めてのものばかりだった。開演前張られていた幕がスクリーンとしてオープニング映像、come Hereのロゴの中で各メンバーが”Come here”とポーズを決める。4人ともかっこよすぎて開始30秒ほどで既に虜になる。そして幕が落ちると共にKAT-TUN登場。これこそまさに幕開けってやつ。相方が「どこ?どこ?」と聞いてきたので早速笑ってしまった。いやいや、幕がある時に既にメンバーの影が見えていてファンがキャー!と叫んでいたじゃないか。毎回嵐の登場場所が分からず明らかに大きな風船がありクレーンが動いていたアラフェスでさえ分からなかった私でも今回のKAT-TUNは分かったぞ。

全体的にKAT-TUNのコンサートはどちらかというとファンサをするというよりも歌やダンスを魅せてくるもので終始口が開きっぱなしだった。前にもブログで書いた気がするが、ファン側もアイドル側もファンサに必死になってしまうコンサートは心なしか寂しい気がしてしまう。かと言ってただやりたいことをやってみましたはいドーンも一方的で寂しい。KAT-TUNのコンサートはその面で1人1人のファンの目を見て歌っている姿が純粋で且つダンスは見惚れしてまうほどかっこよくてとても素敵だった。

参戦するにあたり予習ということで、DVD「COUNTDOWN LIVE 2013 KAT-TUN」をクリスマスというカップルが楽しく過ごす聖なる日に相方と2人で鑑賞したのだが、前述の通り今年は去年に比べて夏のツアーの影響もあってかステージがシンプルになっていた。「演出がド派手で最大級」と聞いていた私にとっては意外なものに感じたがその感情は一気に吹っ飛んでしまった。いわゆる典型的なステージの中に爆弾級のド派手な演出が秘められていたのだ。前半から炎が燃え上がったりと常にいい意味で期待を裏切ってくるのだった。「TRIANGLE」という曲では光を身に纏ったダンサー達とメンバーが共にメインステージからセンターステージへ移動しパフォーマンスを続けるのだが、実はセンターステージでのパフォーマンスの途中でKAT-TUNはバックステージへ移動していたという演出は完全にやられた。マジックの手法の1つに他方向に観客を集中させている間にトリックを仕掛けるというものがあることを知っていたし、本来なら「今移動中でしょ?」と気付くはずなのだが、気付かないほどセンターステージのパフォーマンスに集中していた。自分達が”ステージ上”にいない間の演出も隙なく考えられていて鳥肌がたった。極めつけは「Dead or Alive」。これは今月21日に発売される新曲であり、初披露のこの曲を楽しみにしていたファンの予想をはるかに上回る演出。最初にドカーーンと花火が発射されたのだが本当に真横で火花が降ってくるんじゃないかと思われる近さで打ち上げられたため、思わず「うええっ!?」と声をあげてしまった(かわいくないってか)。カラフルな炎も上がり、ここはドームだぞ?アリーナじゃないんだぞ?ドームだぞ?約3時間15分その繰り返しだった。


各メンバーのお話はまた後日。本当はメンバーのことが書きたくて書きたくてウズウズしている。年が明けた今でも相方とKAT-TUNについてLINEで語っている。もうなんならLINEのトークをブログに載せてしまったほうが的確な表現だしいいんじゃないのかと思ってしまうのだがどうもTwitterのように連携する機能は無いらしい……ということではなく、日本語破綻を起こしまくっていて、とても載せられるものではないので、頑張って文章化しようと思っている。むしろあの日本語破綻した私の文章を毎度毎度よく理解できるなと相方には感心する。全体的な演出だけでも文章化するまでに4日もかかるんだから次の更新はいつになるのだか。

What is LOVE ??

昨日いつものメンバー4人でヲタ会をした。集まること自体は5ヶ月ぶりだが本格的にヲタ会をするのは約2年ぶりだった。あまりにも楽しかったうえに、140字では収まりきらなかったためブログの記事にしてみた。

待ち合わせをしてカラオケへ。全員がTHE DIGITALIANを参戦してから集まろうということだったので早速MC前までセトリ順で歌った。最初の2曲を歌い終えた時点でコンサートの時同様暴れまくったため、既にヘトヘトだった。改めて笑顔で歌って踊るアイドルの凄さを感じた。休憩がてらLOVEのDVDを観た。実を言うと私はLOVEを観ることに少し抵抗を感じていて、今まで避けてきた。どうしても入っていないコンサートを観るのは辛い。LOVEは特に自ら申し込みすら諦めてしまったコンサートだった為、尚更観ることができないでいた。1人で観ていたら「こんな演出観たことない。入りたかった」と後悔するだろうし、私を除く3人は皆参戦していたため話についていけなくなるのが怖かった。LOVEを観るという話になった時嫌な顔をしていたかもしれない。しかし実際は3人が既視感を抱きながらではなく、まるで初めてコンサートに行った時のように観てくれたおかげで最後まで楽しく観ることができた。勿論何度観ても感動する嵐さんの演出がそうさせているのかもしれない。兎にも角にも、初めて最後まで観て感動し盛り上がっている私が浮くことなく一緒になってノッてくれた3人には本当に感謝している。私の「苦手」を克服させてくれてありがとう。LOVEを観た感想としては、LOVEは衣装が影響していることもあるのだろうが、終始キラキラ感溢れるコンサートだった。たった3時間弱の中で様々な愛のカタチがギュッとまとめて表現されていた。

その後厳選に厳選を重ねて選ばれたにも関わらずソファから溢れかえった歴代ジャンボうちわを並べてまさにヲタ会♡といわれるようなこともした。まるでフリーマーケットや屋台のようだった。


引き続きカラオケを再開した。Zero-Gを踊りながら歌うことになったが、下手なりにもそれなりに踊れているところがまたツボで、1人が動画を撮ってくれていたのでまた見ようと思う。次回機会がある時までに完璧に仕上げておこう。機会がない確率の方が高いか。いやきっとこれは伝説として4人でカラオケに行く度に踊ることになるはずだ。

カラオケを終えてプリクラを撮ったのは良かったのだが、あまりにもカラオケで盛り上がったため当初の目的であった語り合う時間のないまま解散になるところだった。しかし個人的なタイムリミットは既に過ぎようとしている。さあどうする。結果、今まで憩いの隠れ場として好んでいたのに最近カップルが発掘してしまい侵略されつつあるオフィスビル15階で語ることにした。最近有吉弘行さんがTwitterで載せている「オバショット」をやってみたり、今までの心の鬱憤などを語ったりした。と言っても私に時間がなかったためほぼ私の話だけになってしまったのは申し訳ない。今度は絶対聞く側に徹する。

それにしてもどちらかというと大抵相談される側の人間になる私の話を頷きながら最後まで聞いてくれる人はなかなか少ない。私が相談したはずなのにいつの間にか相手の相談を聞いていることなんて少なくない。勿論人間は価値観がバラバラなのは当たり前で受け入れられないものだってある。しかし3人は「教えて?」と能動的に訪ねてきてくれた(確かに内容的に興味があるものだったのだろうが)。おかげさまで本当にすっきりしたし、負担が軽くなったような気がする。素直に自分の感情をさらけ出せた。

今回は最初から最後まで充実していた。3人と過ごしているとまさに"LOVE"を感じた。(表現下手くそかよ)一旦冷めてしまったが戻ってきてくれた2人も結局は私の価値観を理解してくれていた。いつまでもヲタをしている私をどんな時でもバカになんてしなかったし、いつでも一緒になって盛り上がってくれた。そしてずっと辞めないでいる1人も2人が冷めている間私を助けてくれていた。SNSという大人から見れば「そんな薄い関係なんて」と思われるきっかけで知り合った4人だけれども、きっと相手の嫌なところを見てしまって嫌いになる期間がいつの間にか過ぎて今があるような気がする。3人とも、来年になってまた冷めてしまったとしても、離れてしまったとしても、いつでも戻ってきてほしいし、戻ってくるのを待つことができる存在。また今回集まった4人とは別の1人は違う道を歩んでいて住んでいるところも遠く離れ離れだが、来年必ず公演を観に行くと決めている。皆頼りにしています。いつもありがとう。きっとこれが今の私が理解できるLOVEのカタチなのかな。(結局表現下手くそ)

『Doctor-X〜外科医・大門未知子〜』最終回

今クールの民放ドラマで唯一毎週忘れずに見たのがDoctor-Xだった。いわゆる男女関係を巡る話が主体だったSeason2は恋愛ドラマを苦手とする私にとっては苦しいものではあったが、今回のSeason3は医療現場のあり方、医師のあり方を主題とした話の展開だった。内容などは公式HPやサイトを検索すればすぐに見つかると思うので、相変わらず語彙力はないが観た感想をそのまま綴ろうと思う。

まず、Doctor-Xを観る上で個人的な楽しみ方は、台本に書かれているセリフよりも多いと思われるアドリブで共演者の腕を磨いたり、笑わせてNGを出させたりすることで有名な西田敏行さんが出演される度にどれがアドリブなのかを考えながら観ることだ。今回は西田さんの出演が少なかったこともあり、特に高畑淳子さんや勝村政信さんなど他の出演者の方もアドリブなんじゃないかと思えるような面白さがあった。出演者同士のかけ合いのテンポも素晴らしかった。また、今回は原先生が号泣して弁解するシーンや今年の流行語大賞のあのネタを言って部長室から出てくる未知子、十勝議員のうちわらしきものを皆で扇ぐシーンといった時事的で少し皮肉なものも含めたユーモアをいれていたのも、無理矢理流行りを取り入れました感が全くなく純粋に面白かった。もう他のドラマでは使えない気がする。

今回のキーパーソンだった天堂総長は最終回までいわゆる「善者」なのか「悪者」なのかが分からず、目が離せない存在であった。政治家と関係があったのはむしろ医療を政治の一部に取り入れる国家と対立するために政治家を利用していたのだろう。結局最終的には政治家に利用される結末になってしまい、計画は失敗。彼は政治と医療を分離するという医者の未来に対する責任感はあったのかもしれないが、患者と向き合う患者に対する医者ではなかったということを未知子を見続けて最後に気付いた。しかし彼は気付いたことを見て見ぬふりをするのではなく、自分の間違いを認め受け入れた。大抵自分の間違いを認めることは難しい。特にドラマの場合権力者は自身の権力を用いて無かったことにしようとする展開が多いのだが、天堂総長は一般的な権力者の性格を持つ人間ではなかったようである。北大路欣也さんは途中まで白戸家の犬のお父さんのイメージが抜けなかったが、最後まで上品で素敵な総長だった。

Season3はSeason1とSeason2のメンバーがそれぞれ全員集合したものであった。それぞれがそれぞれの状況で未知子を知っている為に実力は認めつつも上の者に対しても言い切ってしまう未知子を一見批判しているように見えるが、最終回のクライマックスである晶さんの手術では皆が今までの欲にまみれた感情を一切取っ払って1人の医師として未知子に協力していたところには感動した。いつもは”御意”が大好きな海老名部長の「天堂総長なんてなんだ。もしものことがあったら俺のクビをかけてもいい」と言い切ったシーン。学園ドラマよりも大人のこういった絆のほうがもっとリアルで私は好きだ。

「私、失敗しないので」この言葉は誇張して意地を張って言われたものではなく、決して見放してはいけない1人の患者の命を預かった責任を再確認し、今からオペを行う自分を奮い立たせる為の言葉であること。例えるならばアスリートがお決まりの独り言を唱えてからコートやグラウンドに入るようなものだろうか。人間は主観や偏見を頼りに判断してしまう生き物だが、患者の抱える問題や過去がどんなものであろうが命を救おうとする未知子は、手術がただの特技や趣味の範囲では収まらないのかもしれない。元々は気が弱く決断の遅いダメダメな医師だった未知子が紛争中のキューバという窮地の中にいた晶さんの下に弟子入りしたのが2人の師弟関係のきっかけなのだが、ここで私が注目したいのは、晶さんが教えたのは術式ではなく手術を行う医師のあり方であるところだ。迷っていたら患者の命が危ない。どんなハプニングが起きたとしても迷っている暇などない。深呼吸をしてその時々に正確な判断をして手を動かすこと。晶さんの全ての言葉が今のスピーディで正確な「失敗しない」未知子を作り上げた。晶さんの手術は未知子の改めて初心にかえる機会になったように思える。医者である自身の予想をはるかに超えて手術を成功させてしまった弟子を敬うわけではなく今まで通りの会話をしていた晶さんと未知子を見て2人の強い信頼性を感じたストーリーだった。

失礼な話だが、当初の私の米倉涼子さんに対する印象はあまり良くなく、何度もひみつのアラシちゃんにゲストで登場していたこともあって、騒がしい人というイメージが強かった。しかしなぜかDoctor-Xシリーズは観ていた。サスペンスなど様々なドラマをかかさず観る祖母が毎週観ていた影響もあるのだろう。目ヂカラの強い米倉さんだが、実は人見知りであることを知って以降米倉さんへの印象が変わった。私も目ヂカラが強く、よく友人に怒っているのかと言われる人間だからだ。他人への警戒心が強く、自分を大きく見せないとなめられてしまう。だからこそなんでもバッサリと言ってしまったり、目立とうとしているのかもしれない。あくまで私の推測に過ぎないが、最近米倉さんがバラエティに出演されているのを観る度にどこかしらシンパシーを感じるのだ。私と同じ8月生まれのしし座のB型であり目ヂカラの強い米倉さん。他にも共通点があるが、”騒がしい”のではなく”サバサバ”した格好良いと思われる米倉さんのような女性に私もなりたいと思った。

同じテレ朝で現在Season13を放送中(第10話は元日に放送らしい)の「相棒」を除けば、大抵シリーズものは3回で終わってしまう。「遺留捜査」もシリーズ3まで。今はスペシャルドラマとして時々放送されている。元々シリーズものは苦手と話されていた米倉さん。きっとDoctor-Xもこの終わり方を考えると続編はしないのだろうと思うと寂しい。また是非とも恋愛や人間関係等を一切気にせず堂々と肝の据わった女性を主人公にしたドラマを制作してほしいと思うと共に、大門未知子を演じ終えたこれからの米倉さんを応援していきたいと思う。

イベント女のひとりごと

THE DIGITALIAN 京セラ公演からもう1週間が経ってしまった。早く現実を見ないといけないとはいうもののなかなかに辛い現実を受け入れたくない自分がいる。地に足をつけろ自分。

参戦を終えて今までの参戦などを懐かしく思い出しながらふと考えたことがある。それは「全力で楽しんできてほしい」ということ。いやいやいやごく普通のことを改めて言うことじゃないと思うかもしれないのだが、最近Twitter「何回も行っている人はその分感動が薄れてしまって1番この公演がよかったと思った他の公演はなんだったのか」といったニュアンスのツイートを拝見した。誰の発言か定かではないとされているメッセージのため、当初はあまり気にしてはいなかったのだが、何度もこのツイートを見る機会があったので少し考えてみることにした。そして自分の中で1つの答えをなんとか導き出した。ここからは個人的な意見のため価値観が違う方にとっては反感を買うような内容かもしれないが、とりあえず書いてみようと思う。

私は複数現場へ行くことを反対していない。お金をかけただけやはり報いがあるのは当たり前のことではある。むしろその分リスクを伴うことの方が多かったりもするため、それでも行きたい方を咎めようなどとは考えていない。何かあればその人の自己責任なわけで、こちらがあーだこーだと意見することはないと思っている。

(昨日報道番組で投資をして稼いでいる大学生のインタビューでアベノミクスについて彼が「そりゃ投資などをしていない方はリスクを背負っていないわけだから」と語っていたことが印象的だった。)

しかし、私が伝えたいことは何回も行くのであればその数だけ毎回100%で楽しんでほしいということだ。去年のコンサートに参戦していない分特に今年の参戦を充実したものにしたいと思っていたこともあったのか、あるいは高3の1年を文化祭に費やし校外の方や校内生にも楽しんでもらえるものを作り上げたいという思いで必死だった提供者としての経験からなのか、改めて1つ1つのコンサートにかける演出者の思いを100%受け止める必要があることに気付かされた。



そもそも裏事情などを私たちは1視聴者として受け取る側の人間として知る術などないのだから、純粋に素直にグループに対して親バカのように凄いと感動してもいいのではないだろうか。だからどうか、1回の参戦の方は勿論、複数参戦される方も全ての公演に対するパフォーマーの熱意を感じとってきてほしい。決して彼らは手を抜いてなんかいない。

これこそ
「入れない人のことも考えて」
の本来の意味であるように思う。
決して当たった方に怒りをぶつけているのではなく、入れなかった人に失礼のない態度で参戦してきてほしい。その願いが込められているような気がする。かく言う私も友人のおかげで同じコンサートを複数参戦したことはあるが、どうしても「いかにファンサをしてもらえるか」や「どれほどの回数のコンサートに参戦するか」に気が向いてしまって「今回は全くファンサしてもらえなかった」とか「次があるし」と思ってしまった公演もあった。今思うと、もっと1つの公演から得られる何かがあったかもしれないのにもったいないことをしたと後悔すると共に裏では何万人もの人が入りたかったと肩を落としているのになんて無責任な感想を持ったのかと反省もしている。参戦した者が演出に対して批判などがあるのは当然なのかもしれないが、まず自分から能動的に楽しもうとすることは少なからず大事なのだと思う。

これは小さい頃から盆踊りが大好きでイベントが大好きで高3という重要な年を体育祭と文化祭に費やしたイベント女の「1度きりの人生をいかに濃いものにして楽しむか」を日々考える上でのひとりごとにすぎない。こんなことを議論するなんてまだまだ精神的には若いのかもしれない。

……とここまで書いてきたが先ほど日経エンタテイメント!2015年1月号を立ち読みしたら嵐さんが言いたいことを言ってくれてるじゃないか。

日経エンタテインメント! 2015年1月号

日経エンタテインメント! 2015年1月号


さて、書きたいことも書いたのだからそろそろ厳しい現実に戻りましょうか、なるるさん。

「ARASHI LIVE TOUR 2014 THE DIGITALIAN」京セラ初日②

前回の記事の続き。これから見ようとしてくださっている方は前回の記事から読むことをすすめる。

MCでは特に翔くんと潤くんが智くんへのドッキリを成功させたくてそわそわそわそわと落ち着かずMCが成り立たなくてとても可愛かった。いつもはっちゃけているにのちゃんと相葉くんのほうがむしろ安定していた。これから宣伝しないといけないことが沢山あるだろうに、全く宣伝ゴトをしなかった。いつものバラエティ感あふれるMCではない人間らしい自然な会話が見れてすごく満足である。潤くんがあまりにも心拍数が高く、リハーサルでは踊らずメンバーのダンスを見ているだけなのに2番目に心拍数が高かったことに対して、潤くんが嵐のダンスに興奮しているという話での翔くんのノリが好きだったし、サプライズのことを知らない智くんが翔くんにそばで次の曲が何か焦って聞いていたエピソード等もあってなんだか長生きできそうだ。こんなファンと協力した本格的なお誕生日サプライズに参加したことがなかったためとても楽しかった。
最後の挨拶では翔くんの15周年に対する考え方が聞けたし(いつものおかたい挨拶じゃなかったのがすごく意外だったし生の声って感じがしてよかった)、智くんは何度もありがとうと言ってくれるし、相葉くんは心からコンサートを楽しんでくれていてこっちも笑顔になるし最後のディスコスター様はもうだめです惚れます。にのちゃんはEXILEさんや48系列さんの話を普通に入れちゃう挨拶を風景の国立以来(あの時は確か僕たち5人で嵐じゃないんだよね、皆で嵐なんだよね、48人余裕で超えるね的な内容だったはず)で、あーやって簡単にスラッと言っちゃうにのちゃんの挨拶は毎回楽しみだし大好きだ。「青の人、あと何回か押すと黄色になるよ」は個人的ツボだし、言葉選びが上手い。潤くんはコンサートにかける思いがヒシヒシと伝わってきた。
そして最後の翔潤アディオスはわたしももう一つのブログの最後にアディオスをつけているので勝手な親近感と共に1人で喜んでいた。勿論翔潤に萌えたのは前提で。
今回の演出はスタンドだと嵐がかなり小さく感じた。しかし嵐が小さかろうが、嵐だけじゃなく周りをとりまく音響や照明やステージ、そして無数のファンライトが一つとなって、十二分に素晴らしいエンターテイメントを届けてくれた。
今回とにかく入れてよかった。こんなにも充実してメモに残したいくらいに思い出に残ったコンサートは今まであっただろうか。相方はイベントになると写真を撮りまくる人間らしいのだが、私はいつもそういう時は撮ってあげる側の人間だったため、今回いっぱい撮ってくれていっぱいオフショまで撮ってくれていて嬉しかった、心の底から本当に嬉しかった。多分無意識なんだろうが、自分を第一に考えずに一緒に行動しようと考えてくれていた。それぞれの道で同じように10周年のアニバーサリーを祝っていてそれぞれの道で5年が経ち、実質15周年のアニバーサリーにあたる今年2人では初めてのコンサートだったのだが、相方はどうだったんだろうか。もしかしたら今までと変わらずに楽しんでいたのかもしれない。しかし私にとって今回のコンサートは、当ててくれてありがとうという思いと私を連れていってくれてありがとうという思い、ずっと一緒に過ごしてくれてありがとうという思い、たっくさんの感謝で溢れている。それくらい大切な1日だった。だから前日まで分刻みでスケジュール立ててみたり持ち物確認してみたり、逆にたくさん苦労をかけてしまったが、どうしても充実した1日にしたくて一生懸命準備した。どんな1日でしたか?私はすごく充実していて楽しかったです。来年は私が入れてあげるからね。また来年、こうやって充実した1日を過ごせるように明日からまた努力するのみだ。